十石堀

公開日 2019年08月27日

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十石堀の概要

 

 十石堀は、農民自らの発意と計画により、1669年に建設された用水施設であり、用水路延長約15km、取水水門2ヶ所、分水工2ヶ所、最大取水量毎秒0.36m3、受益面積は78haです。鉄筋コンクリート三面張り水路に改修されている区間もありますが、水源から約2kmの区間は、建設後、350年が経過した現在でも建設当時の姿のまま利用されています。

 十石堀が位置する北茨城市は東が太平洋に接していますが、市域の85%を山地と台地が占めているため、海岸近くまで山地と台地が迫っています。

 当時、この台地上にある農地は、水源が天水のみであるため、毎年のように水不足によって農作物が収穫できないという被害を受け、農民たちは大変困窮していました。そこで、1668年に、当時の村長であった沼田主計(ぬまたかずえ)は、水不足の解消と新田の開発を目的として用水路の建設を計画し、この地域を支配する領主に願い出ました。

 当時の技術水準では、水を大北川から取り入れて台地上へ送ることはできませんでした。そこで、農民らは協力し、水源を直線距離で6km、標高300mの奥深い山中にある大北川の支流に探し出し、そこから自然の地形を巧みに活用しながら、急峻な山の斜面に延長約13kmにも及ぶ用水路を建設するという当時としては革新的な計画を立案しました。計画を立案した当初、領主は、難工事が予想されたため、建設を認めませんでした。しかし、領主は、立案者である沼田主計の命を賭した決意に動かされ、建設を認めました。工事は1668年の8月に始まり、農民らの協力によってわずか約半年後の1669年3月に完成しました。また、建設資材は農民が自分たちの山から調達し、建設費用を領主が見積った額の約10分の1に縮減することができました。十石堀の水は、松井地区、日棚地区、粟野地区の3地区で利用されました。領主は、十石堀の建設と新田の開発に功績があったとして沼田主計を称え、開発された新田のうち、沼田主計にかかる租税を免除しました。沼田主計が租税を免除された新田の米の収穫高が約10石であったことから、建設された用水路は十石堀と呼ばれるようになりました。

 この十石堀で建設された導水路「掘割」は、自然の地形が巧みに活かされ、現在も建設当時の姿のまま利用されており、その歴史的価値から北茨城市指定史跡に指定されています。

 

 

十石堀の位置図・写真はこちら↓↓↓

 

  

 

○十石堀位置図

 

位置図.png

   

 

 ○十石堀写真 

  

 加露沢取水口                    金掘が開削した掘割(平成31年1月11日北茨城市指定史跡)

  

 親水公園(北茨城市中郷町松井1947-2 地先)

 

○過去の履歴はこちら↓↓↓

 

 ・国内審査通過 ⇒http://www.city.kitaibaraki.lg.jp/docs/2019051700010/

 

 ・国内審査申請 ⇒http://www.city.kitaibaraki.lg.jp/docs/2019021400018/

 

お問い合わせ

農林水産課
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